メールマガジン

【青工会メールマガジン 第223号(2019/03/15)】

目次

卒業にあたって ~ 御子柴 隆 ~
卒業にあたって ~ 大木 幸人 ~
卒業にあたって ~ 樋川 武 ~
卒業にあたって ~ 大沼 美洋 ~
卒業にあたって ~ 平島 直義 ~
卒業にあたって ~ 小林 智斉 ~
卒業にあたって ~ 田中 剛 ~
卒業にあたって ~ 丸山 順一 ~
卒業にあたって ~ 新田 英司 ~
卒業にあたって ~ 宮下 純 ~
卒業にあたって ~ 功刀 数也 ~
卒業にあたって ~ 渡邊 直樹 ~
卒業にあたって ~ 原 誠 ~
卒業にあたって ~ 若尾 逸生 ~

卒業にあたって

御子柴 隆


卒業年度に初めての委員長をやらせていただいて、感謝します。
もし委員長をやらずに卒業していたら、単純に、楽しい青工会だった、で終わってしまったと思います。
この一年、落ちたり、上がったり、の繰り返しでした。
自分の思いや考えを人に理解してもらうことは難しくて、ましてや、共感してもらうことはさらに難しい、ということを実感しました。
でも、人に共感してもらう、ということは、仕事でも家庭でも一番大事なことじゃないかと思うので、そんな勉強をさせてもらったこの一年は貴重でした。
そんなわけで、委員長をやってみたら、と気軽にお勧めすることはできません。想像以上に辛いと思います。(まあ、そう思っているのは私だけかもしれませんが・・・)
それでも、やはり卒業までには一度は挑戦してほしいと思います。きっとこの青工会で委員長をやった者にしか学べないことがあると思います。
勉強であれ、スポーツであれ、趣味であれ、一生懸命取り組むことにこそ、意味があるのだと思います。
というわけで、私は卒業してしまいますが、これからの挑戦者を、心から応援させていただきます。今しか、ここでしか経験できない、熱い青工会ライフを楽しんでください!

卒業にあたって

大木 幸人


私は青工会での活動期間も短く、このような機会をいただいたのですが、皆様に特筆してお伝えできるような事柄も見つからないので、私の好きな本を一つ紹介させていただきます。
「星の王子さま(The Little Prince)」という題名の本で、あらすじを省略すると、砂漠に不時着した飛行士が、自分の星を捨ててきた王子さまから、自分の星を捨てた理由や地球に辿り着くまで訪れた星の事、そして王子さまが地球で気づいた事など話を聞くという内容です。
物語のポイントは、「王子さまのバラ」「王子さまが行った6つの星」「王子さまが地球で出会った動物(友達)から学んだこと」「王子さまの話を聞いている飛行士」です。
この本は、私たちが失いかけていたものに気付かせてくれます。目に見えるものばかりに拘らず、目に見えない大切なものに気付かせてくれます。とても良い内容の物語です。
機会があれば、是非読んでみてください。

卒業にあたって

樋川 武


シニアの先輩方から誘っていただき、青工会へ入会してからは、様々な分野における沢山の方々との出会いがあり、ここで人生の勉強をさせていただいた事に、心より感謝申し上げます。

入会してから約6年になりますが、あまり積極的に参加する事が出来なかったことを申し訳なく思っております。

でも、多くの先輩方が築いてこられた『想いの詰まった例会』に参加させていただいた時は、それぞれの方々が持っている新しい情報に触れ、刺激を受け、仕事では得られない貴重な経験を積む事が出来ました。
仲間たちとの共同作業を真剣に取り組み、時には励まされ 勇気づけられることにより、私も少しは成長出来たのではないかと思っております。

共に歩んだ時間(とき)を忘れず、この経験を生かして、これから先も心豊かな人生になれる様に、新しいことへにも挑戦して行きたいと思っております。

今後も、山梨青年工業会が更に発展していけますようお祈り申し上げます。
本当に有難うございました。

卒業にあたって

大沼 美洋


委員長をやらせていただいたあの1年が、今思えば全てだったように思います。他の年が駄目だったというわけではなく、つまり凝縮されていたと言えばいいでしょうか。入会前のぬるま湯からピリッとした環境になって、そしたらあっという間に委員長になって、自分のやりたいことはやらせてもらえるんだけどそのやりたいことがうまく伝わらないもどかしさ。そして仕事でもないのに惜しみなく協力してくれるメンバーへの尊敬と驚き。自分のイメージ以上のものが仕上がっていく高揚感。やっぱり俺できるじゃんという錯覚。高校時代の部活動のような一体感、ノリ。やればやっただけ、あるいはそれ以上に何かが返ってくる快感。それに深夜のラーメン屋。居酒屋。ディズニーランドに廃校。
自分の未熟さに気づいて落ち込んだふりをして…。そんなこんながごちゃまぜになっているのがこの青工会なのかと感じています。
だから、よそから山梨にきたのにこの会のおかげで先輩も後輩も同級生もできました。もう、感謝しかありません。私にたった1秒でも関わってくださった皆様、心からありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。

卒業にあたって

平島 直義


青工会に入会してから10年。入会審査を商工会議所の401号室であの独特の雰囲気と背の高い飯島会長の存在感、少し怖かったです。初めての例会はAIJさんとの合同例会でした。大人数での例会の中での入会式、緊張して何を話したのか覚えていません。入会1か月での卒業式の司会原稿の作成と司会、無茶ぶりには困りましたが、委員会の皆さんが丁寧に教えてくれて、出来ました。恥ずかしながら、仕事や私生活でもパソコンを使用することが無かった私には、四苦八苦でした。会に入った事で少しは活用できるようになったことは、良かったと思います。その後、原年度の時に総務委員長、雨宮年度の時に総務副委員長をやらせて頂き、役員会や委員会での経験が勉強になりました。その時に任命して頂いた原会長や雨宮会長には、とても感謝しています。また委員長の時に支えてくれた、担当の小林智斉さん、副委員長の田中剛さん、渡辺直樹さんに感謝です。青工会に入っての財産は何といっても会の皆さんです。出会えたことでの絆は一生の宝物です。最後に、青工会は仕事や家庭の次だと思いますし、面倒な事、大変な事、嫌になる事があると思いますが、折角入ったのだから精一杯活動して下さい。

卒業にあたって

小林 智斉


青工会には2009年3月に入会させていただきましたので、ちょうど丸10年の在籍となります。
この間、色々な役職を経験させていただきましたが、やはり委員長をさせていただいた年が一番印象深いです。そしてもちろん、一番大変な年でもありました。
小さいとはいえ会社にいれば社長ですので社員から色々言われることはありません。それが青工会で委員長をやっていた時は、上から下から横から斜めからダメ出しばかりで、本当に大変な思いをしました。『会費払って仕事の時間削ってまで頑張って、それでこんなに怒られて・・・俺はいったい何やっているんだろう?』なんて思うことも多々ありました。しかし、今振り返ってみれば、大変な思いをしたり苦労したことの方が印象深く思い出に残っています。
忙しい中をやりくりして活動の時間を作ったり、仕事・青工会・家庭の優先順位を決めたり、委員会メンバーの意見を汲み上げつつ自分のやりたい事を進めるために決断をする。そんな経験こそが自己研鑽であり、そのような経験を通じて多くの学びを得ることが出来ました。
青工会会員はもちろんのことシニアの先輩方、AIJの皆さん、歴代事務局など、私の青工会活動を支えていただいた全ての方々に、改めて心より感謝申し上げます。

卒業にあたって

田中 剛


1973年5月21日、父・母・2人の姉の下に長男として生まれました。出産予定日の1ヶ月前に母が高熱を出し、無理やり出産した時には全身火傷。私は別室で保育器に入れられ、1週間後に母と対面した時にはケロイド状態だったとのこと。
その後は驚異的に回復できて、保育園の頃から毎年健康優良児として表彰されるほどに。ただ、肌が弱めなのは出生時の影響かもしれません。
※頭皮は火傷の影響ではなく父方の遺伝でしょう。

なぜこんなことを書いているかというと、私は青工会では私自身についてあまり語ってこなかったからです。学生時代の仲間以上の関係を大人になってから築けるわけがないと思い込んでいたので、入会してからの数年間は「みんなとの距離を縮める必要はない」と考えていました。結果、後悔しています。もっと早くみんなの輪の中に飛び込み、自分をさらけ出すことができていたら、もっと楽しい青工会活動だったろうと思います。
卒業を迎えますが、今後も仲間としてお付き合いいただき、少しずつ私のことを知っていただければと思います。

ちなみに出生時すでに3,800gあったとか。生えてきた髪は赤毛で、バリカンで何度か刈るうちに……

卒業にあたって

丸山 順一


卒業生の私が卒業生をどのように送り出すのか。
私は3月例会の担当副委員長をしています。卒業年度に3月例会を担当でき、言葉では伝えづらい感覚でおります。
過去を振り返りますと、いまでも忘れられないフレーズが頭の中に残っています。
丸山君、君は「おこがましい」。私が総務委員長で3月例会を担当した時に先輩から教えられた言葉である。
私は自身が体験、経験した事を、後輩達に伝える事ができただろうか。

会に在籍させていただいた期間、約10年ちょっと。
その中で、ここがこうなれば、と思う事を手前勝手に書かせていただきます。卒業という立場を利用して。

まず思う事は、なかなか出席出来ない会員に。例会案内や公開委員会のML配信を行ってもらえば、と思います。
内容を文字にする事で、どのように伝えればいいのかを考えますし、まずは、考える機会になります。
委員会に出席できていないとしても、ML配信することで、今、委員会で何を行っているのかを理解することが出来ます。

次に思う事は、役員会上程。基本的には各委員長が上程をしていますが、2つめの例会、3つめの例会には積極的に副委員長に上程してもらっては、と思います。上程をしてみたらわかるのですが、役員会での上程は、青工会の自己研鑽の醍醐味の1つだと思います。
経験の浅い副委員長には、ぜひチャレンジしていただきたいと思います。

最後に、執行部会について。執行部は会にとって必要不可欠な組織だと思っています。
毎月の執行部会へは各担当委員長が協議、審議案件を執行部会に上程しています。
例えばですが、協議案件のみを執行部会に上程し、その後の審議案件は執行部会を通さずに役員会に上程してみては、と思います。
この意図は、各役員の多忙なスケジュールを軽減するため、次に各委員会に審議を託し、責任と自覚を持っていただく為。
各委員会には担当もいて執行部との橋渡しもできているので、可能なのでは、と思っています。

最後のメルマガに不釣り合いな事を書いていますが、センチメンタルもあれなんで。

皆さんにも必ずくる卒業。青工会ライフを十二分に満喫してください。
エンジョイ青工会!!

卒業にあたって

新田 英司


「あの日から」

退会を決めた日と復帰を望んだあの日。自分の正直な気持ち、その後どうなるかの不安に葛藤、悩んだ時間を振り返ると確実に後者のほうだったと思う。
その年はさすがにしんどかった。大雪による工場の倒壊、精神的、肉体的にも限界を感じていた、そんなときこの会で得た仲間や先輩に励まされ勇気をもらった、消えかかっていた希望の光をかろうじて灯し続けることができた、絶対に忘れない。決定的だったのが大好きだった先輩のこと。気付けば着の身着のまま遺影の前、泣いた。辞めていなければ、もっと話すことができていれば…悲しくて、悔しくて。
不義理にばっくれてしまった自分はどう見られていたのかな? 誰かの為に?何かを残す?そんなのおこがましい、ただただ己の為「卒業」することでけじめをつけたい、つけなければならない。その想いだけで復会させてもらい活動してきた。
そして今、あの日からようやく。いくら後悔しても決してその時間は取り戻せない、それでも新たな仲間に恵まれ、心強い48メンバーもたくさんいる、本当に大勢だ。長時間に及ぶ卒業式、申し訳ないがけじめの時までもう暫しお付き合いを。
2019/3/5 新田英司

卒業にあたって

宮下 純


Q いよいよ卒業ですね。どんな感じですか
A 実感は無いですね。
嬉しくも悲しくも楽しくも気持ちよくもありません。
卒業された先輩方も言っていましたが、当事者になると
思った以上に実感はないですね。

Q 青工会活動を振り返って何かありますか
A 何か?何があるかな・・・
入会して多分13年位。丁度、小中高の633で12年でしょ、
大人、経営者としての義務教育を改めてって感覚かな。
だから丁度良いタイミングかもね。もうお腹一杯です(笑)
同期入会の志村雄くんや宮澤良治、翔、武丸 なんかは大変だ。
逆に5~6年在籍で卒業すると物足りなくてセンチメンタルだろうね。

Q 会や会員に何か一言ありますか
A そうだね~。よくダメ出しとか要望とか言う奴いるけど、
結局は対自分だからね、何も無いよ。
青工会は義務じゃなくて責任感が大事じゃん。
来なくても、やらなくても会費を払っている以上は自己責任。
昔は「会費を払って来ないのは優良会員だ」なんて言った先輩もいたよ。
でも、ノーリターンで責任を持って活動出来ない奴には誰もついて来ないし、
遊びや仕事のオファーもないよね。あれ?これってダメ出ししてるか(笑)

Q では最後に一言お願いします
A 4月からはシニアですけども、必要ならばシニアの先輩をもっと使うべきだよね。
利用するじゃないけど、為になる面白い素晴らしい先輩たくさんいるからね。
勿論、俺らもそうありたいし、必要なときは頼られたいのよ年寄りは(笑)
最後に一言ね。皆、遊んでくれてありがとう!
あ、卒業してからもたまには遊んでね~(^^)/

卒業にあたって

功刀 数也


どんなに言葉を

探してみても
並べてみても
飾ってみても

何故かしっくりとこない

卒業にあたり
最後に何か表現するのならば
感謝の言葉だけが残るのだと惟う

様々な経験、学び、出会いをくれた
山梨青年工業会へ

そして
共に活動していただいた
全ての皆様に心からお礼申し上げます

ありがとうございました

卒業にあたって

渡辺 直樹


遂にこの日を迎えてしまいました。31歳で入会しまして14年目になります。
小学校は6年、中高はそれぞれ3年ですから。こんなにも長く同じ所に居たのは他にありません。
本当に私にとって青工会活動は普通に今まで生活の一部となっていました。
若尾さんに誘われたのがきっかけです。横の繋がりだけでなく、縦の繋がりも必要だと言われた事を覚えています。それまでは勤め人だった私にとって全てが新鮮でした。こういう世界があり、こういう人が山梨を作っているんだというのが最初の印象でした。経営って事は何も分からなく実家に入ったので、ここでいろいろ学ばせてもらおうと思ったのを覚えております。
それから14年。本当に多くの学びと多くの仲間を得る事が出来ました。正直、皆さんに何か伝えたとか、何か残せたものがあるのかとは分かりませんが、私自身、素敵な時間を過ごせたと思います。本当に感謝しております。これから青工会に在籍した事を誇りに精進していきたいと思います。今までありがとうございました。青工会の更なる発展を願います。

卒業にあたって

原 誠


今年度卒業生の原です。私は青工会に入会して10数年が経ちました。出会った方は会員及び会員以外の方を含めたら数知れません。そんな経験が出来たことは私にとって人生の転機と言える出来事だと思います。なぜこんなに沢山の出会いがあったのだろうか。やはりそこには、役員を務めたことが大きく関係があると思います。良く先輩方に、青工会に入ったら役員をするべきだと、言われました。そんなことを真に受け、頼まれごとは試されごとなどと自分に言い聞かせ、何でも引き受けていたら・・・。しかし、やるからには何か自分に課題を設け達成していかなければ、意味がないと思いました。一年間どのように取り組み、一年後にどのようになっていたいかを明確にイメージして取り組むことが大切だと思います。これは、青工会に関わらず、どの環境下でも同じことだと思いました。青工会の学びを実社会で実践する事が最大の効果だと思います。私もこの青工会活動を今後しっかり仕事や家庭に役立てていきたいと思います。ありがとうございました。

卒業にあたって

若尾 逸生


私が、青工会に入会したのが今から19年前の2000年でした。
入会当時、会員数も減少傾向にありその当時会員数が38名だったと思います。
委員会数も総務、ものづくり(当時は先端テクノロジー)、経営の3委員会だけだったと記憶しております。また、役員会も多分甲府商工会議所で開催をしてなくて、私の入会審査も役員の先輩の会社で行われた記憶があります。
私がまだ26歳で、会社に入社してまだ3、4年の社会人ほやほやだったのでいつも先輩に連れられて、訳も分からず色々な会議に参加したことを覚えております。
入会当時は、そのような状況で今後の青工会はどうなるのだろう?と常に不安に感じておりました。
その後志村先輩が会長の時、会員増強の掛け声で飛躍的にいろんな業種の会員が入会し会員数もかなり増えました。
この影響はかなり大きく、まず、青工会の運営が変わりました。
例会はじめ、各委員会で予算が取れるようになりました。
また、色々な業種の方が会員でいるので、より専門的な内容の例会ができるようになりました。
今年度、我々14名が卒業します。来年は、5名が卒業予定、再来年が10名とここ3年間で30名近くの会員が卒業していきます。
是非、皆様には「会員増強」を第一優先事項で取り組んで下さい。
あっという間の青工会でした。皆様も、今の青工会を全力で楽しんで下さい!

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